2023年3月28日の「仰天ニュース」で、『連続殺人犯…宮崎勤の真実』が放送されます。
宮崎勤事件といえば大事件でしたが、この後、宮崎勤の一族の末路が気になります。
少し覚えていることもありますが、悲惨な結末だったと思います。
そこで、宮崎勤の家族の末路について探索することにしました。
- 宮崎勉事件とは?
- 宮崎勤の一家はどうなった?
- 宮崎勤の親戚の事件後
ここでは、宮崎勉一家の事件後について調べます。
宮崎勤事件とは?
宮崎勤事件は幼女を誘拐し、わいせつな写真、ビデオの撮影、脅迫状、最終的には殺害にまで至りました。
- 事件が起きた年:1988年ー1989年
- 起きた場所:埼玉県や東京都
- 被害者:4人の幼女 殺害される
- 逮捕:幼女の猥褻な写真を撮っていたところを幼女の父親が発見、取り押さえる
- 判決:死刑(2006年1月17日確定)
- 死刑執行:2008年6月17日執行
当時何が起きていたのか?
宮崎勤は当時、今田勇子という名前で犯行声明を新聞社に出し、誘拐した幼女の遺体を切断していたり無残な犯行が明らかになっています。
宮崎勤を逮捕したのは実の父親でした。
この人が捕まえなかったら、さらに被害者が出ていたと予想されます。
警察の捜査は少し遅れた!
警察は、初めに見つかった幼女の遺体の歯型を別の人のものだと発表し、後からそれを訂正するなど捜査に時間が掛かっていました。
でも、死刑が執行されたのは判決確定後2年半と早く、迅速でした。
他の事件の死刑囚はなかなか執行されない事を考えると、これは異例のスピードです。
事件の詳細について知りたい人はコチラを先にお読みください!
宮崎勤の一族はどうなった?
宮崎勤の父親が経営していた印刷会社は事件後全て売り、被害者に賠償後、自殺しました。
- 父親:印刷会社を経営していたが、事件後全て売り、被害者に賠償後、自殺
- 母親:不明
- 長女:仕事を辞め、予定されていた結婚も辞退
- 次女:通っていた看護学校を辞める
現在、母親、妹たちがどうしているのかは分かりません。
父親が会社を全て売って被害者へお金を払ったので、家族として出来る事は下のだと思います。
自殺だけはしてほしくなかった・・・
賠償金支払い後に父親は自殺してしまい、それからは母と娘2人で生きていくことになったので大変だったと思います。
果たして、どこまで親が責任を取るべきなのか、本当に親に責任はあるのか、姉妹は何か悪い事をしたのか、など責任の所在に悩む事件だったと思います。
家族で責任を負うのはアジアの特徴
アジアの国は何か起きると一家揃って責任を取らせるということが良くあります。
これが西欧になると、かなり以前から兄弟は別の人格であるという見方が一般的で、
殺人犯の兄弟が本を書いたりすることもよくあります。
日本だったら絶対に「本の利益を自分で取るなんて…」と責められるでしょうね。
個人的にこういうことで兄弟が利益を得るのはどうなのかと思うこともありますが、
兄弟は別人格なので責任を負うのも違うと感じる事があります。
親の責任はどこまでなのか?
成人以上の子供が事件を起こした時、親を責めるのもよくあるケースです。
もちろん、被害者としては怒りをぶつける矛先として犯人の家族というのは理解できなくもないですが、
家庭環境に問題なく過ごしていた子供が事件を起こしたとして、親はいつまで責任を持つのか難しいところですね!
事実、妹たちは何もしていないので、少しでも幸せに感じる人生が送れている事を願うばかりです。
宮崎勤の親戚の事件後
宮崎勤の叔父2人も仕事を退職ししています!
- 1人目の叔父は会社の名義を妻に変更した後、他の会社5つの役職を全て辞任しています。
- 2人目の叔父は娘2人が宮崎姓を名乗ることを変えるため離婚し、妻に子供を引き取らせています。
世間の風当たりが相当強かったと思います。
また、母親の兄には二人の息子がいました。
一人は高校教師、もう一人は警察官でしたが、週刊誌にそのことを公にされたため、二人とも辞職しています。
身内の1人が犯罪者になる事で、家族やその一族が全員不幸になってしまう典型的な事件でした。
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まとめ
今回は、幼女を4人も殺した宮崎勤の家族のその後について調べました。
- 宮崎勤の家族は、父親が自殺した
- 妹は結婚をやめ、仕事を辞めた
- もう1人の妹は看護学校を辞めた
- 1人目の叔父は会社を辞職
- 2人目の叔父は離婚して娘の性を変えさせた
- 母方の兄の息子は教師と警察官だったが二人とも身バレして辞職
- 宮崎勉は2008年に死刑になっている
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