2023年11月15日の「ワールド極限ミステリー」で、【女スパイ 金賢姫の独占告白!禁断の愛】が取り上げられます。
大韓航空機を爆破するという事件を起こした金賢姫の恩赦や生い立ちが気になります!
そこで、金賢姫が恩赦になった理由、生い立ちや事件の概要について調査しました!
- 金賢姫はどんな人物か?
- 大韓航空機爆破の真相とは?
- 金賢姫が恩赦になった理由は何?
- 金賢姫の生い立ちは?
- 金賢姫は現在どうしているのか?
今回は大韓航空機爆破について、金賢姫を中心に調べます。
金賢姫とは何者なのか?
- 名前:金賢姫(キム・ヒョンヒ)
- 別名:蜂谷真由美
- 年齢:61歳(2023年11月現在)
- 生年月日:1962年1月7日
- 国籍:朝鮮民主主義人民共和国
- 結婚:既婚だが旦那は病死
- 子供:2人
金賢姫は、北朝鮮の元スパイであり、爆弾テロ事件の犯人として知られています。
彼女は、1987年に韓国の航空機、KAL858便を爆破した事件で逮捕され、死刑判決を受けましたが、後に恩赦されました。
9歳の頃から女優として活動していた経験もあります。
大韓航空機爆破の真相とは?
- 1987年11月29日
- 北朝鮮工作員 金賢姫(蜂谷真由美)と金勝一(蜂谷真一)が爆弾を持ち込む
- インド洋アンダマン海上空で爆弾が爆発
- 降機していた金賢姫と金勝一がバーレーンで逮捕
- 2人は毒薬で自殺を図るが金賢姫は失敗
- 乗員乗客115名全員死亡が確定
- 金正日の命令で起きた事件
この大韓航空機の飛行予定は、
【イラン】バグダッド
↓
【アラブ首長国連邦】アブダビ
↓
【タイ】バンコク
↓
【韓国】ソウル
の旅程でした。
金賢姫と金勝一は、バグダッドから爆弾を持って乗り込み、アブダビで降機、そしてアブダビを出発した後、爆弾が爆発しています。
このテロを起こした理由が凄い!
金賢姫がテロ事件を起こした理由は、彼女が北朝鮮のスパイとして派遣され、命令を受けたためです。
金賢姫がテロを起こした理由として主に2つの事が分かっています。
- ソウルオリンピックにより国際的に孤立感を強めたため
- 韓国の大統領選挙直前だったため、与党に打撃を与えるため
当時、北朝鮮は日本人になりすましスパイやテロを行うことを頻繁にしており、そのための講師として日本から日本人を拉致していました。
彼女は、北朝鮮政府から、韓国のソウルで、アジア競技大会の開催中に韓国航空機を爆破するよう指示されています。
当時、金賢姫は、北朝鮮政府の秘密工作員として、日本でのトレーニングを受け、その後、ソウルに潜入し、爆弾を搭載した時限装置を仕掛けました。
事件後はどうなった?
彼女は事件後、バーレーンに逃亡し、そこで逮捕された後、韓国に引き渡されたとされています。
金賢姫は、事件後、韓国当局に対し、北朝鮮のスパイ活動や指令について証言し、北朝鮮によるテロ計画の存在を明らかにしました。
彼女の証言は、当時の韓国政府による北朝鮮関連の事件の捜査に大きな貢献を果たしました。
大韓航空は昔は危険だった!
1983年9月1日にも大韓航空機が領空侵犯のためソ連に撃墜されたことがあり、この頃はあまり大韓航空には安全な印象がありませんでした。
また、1987年9月のソウルオリンピック単独開催が決定したことで、「北朝鮮が主導で南北朝鮮の統一」の目的が遠のいてしまいました。
北朝鮮にとって、韓国が経済的に発展することはガマンできなかったのです。
計画を邪魔されたんだね!
このソウルオリンピックには、当時の社会主義国であるソ連や中国が参加することを決めたため、北朝鮮は孤立感を深めてしまいます。
金正日は『北朝鮮が国際的に無視されたこと』に反発してテロを起こしたとも言われています。
金賢姫が恩赦になった理由は何?
金賢姫は大韓航空機爆破事件を起こしておきながら恩赦となっています!
まず、大韓航空爆破事件において、金賢姫がどのような判決を下されたのか確認します。
- 一審 死刑
- 二審 死刑
- 1990年3月21日 死刑確定
何とここまで決まっておきながら事態は急展開!
1990年4月12日に盧泰愚大統領によって特赦される
特赦って何ぞや・・・?
特赦は有罪の言渡しを受けた特定の者に対して行われ有罪言渡しの効力を失わせる。
引用:wiki
金賢姫の特赦に関する理由は下記2つだとされています!
- 事件の生き証人だから
- 北朝鮮反体制のプロパガンダ(広告塔)になるから
金賢姫が反体制になったのは、北朝鮮に事実とは違ったことを教えられていたからだといいます。
北朝鮮では、ソウルは乞食と娼婦が溢れかえっている街だと教育されていましたが、捜査時にソウルへ連れて行かれると、全く違って自由で繁栄していたことにショックを受けたそうです。
さらに、事件後、北朝鮮側が金賢姫を知らないと言い続けたことにより祖国に裏切られたと感じたからとも話しています。
当時、金賢姫が日本のマスコミの取材に、流暢な日本語で答えていたことが人々に衝撃を与えました。
そして拉致被害者の田口八重子さんに日本語や文化を教わったことが金賢姫により明らかにされ、北朝鮮が日本人拉致を認めるきっかけとなりました。
その後、北朝鮮による拉致被害者5名が帰国しています。
金賢姫の生い立ちは?
- 4歳までキューバで過ごす。
- 10歳までは、北朝鮮で子役として映画などに出演。
- 15歳:金日成総合大学生物学部に入学、予科1年修了。
- 16歳:平壌外国語大学日本語学科に入学。
- 18歳: 朝鮮労働党中央委員会調査部工作員として召喚される。
金正日政治軍事大学工作員速成情報クラスに入学。 - 20歳:朝鮮労働党に入党。
- 37歳:大韓航空爆破事件を起こす。
金賢姫は裕福なお嬢様だった
金賢姫は平壌の支配者階級が住む恵まれた環境で育ちました。
金賢姫の父親は朝鮮人民軍の将校で外交官として働き、母親は音楽家だったそうです。
金賢姫は平壌に生まれまてすぐに父の仕事の都合で一度キューバへ渡りました。
北朝鮮に戻ってからも、教育熱心な両親のもとで、音楽やダンスを習ってい、
平壌市内の音楽学校にでピアノやチェロなどの楽器を演奏学びました。
他にも、ダンスグループに所属し北朝鮮の儀式や祭典で公演を行った事もあるようです。
秘密工作員誕生!
後に、金賢姫は、北朝鮮の秘密工作員としてスパイ活動を行うため、日本でのトレーニングを受けることになりました。
彼女は、日本で韓国人のアイデンティティを身につけ、韓国人として潜入するための訓練を受けました。
その後、1987年に韓国航空機爆破事件を実行するため、韓国に潜入し、事件を実行したとされています。
金賢姫は現在どうしているのか?
1997年に金賢姫のボディガードをしていた元国家安全企画部の部員の男性と結婚し、名前を変えて男児を出産、ソウルに暮らしていると言われています。
韓国の政治に存在を左右され、一時は逃亡に近い生活をさせられたりしましたが、
2010年7月までテロ事件以来一度も韓国を出ることなく過ごしていました。
どんな活動をしているのか?
現在の金賢姫は、韓国でテロ事件の被害者に対する謝罪活動、北朝鮮によるテロ計画の実態を訴える講演を中心に活動しています。
また、韓国のテレビ番組に出演し、自身の経験をもとに、
北朝鮮のスパイ活動やテロ計画についての専門家としてメディアに取り上げられることもあるそうです。
彼女は、事件後に韓国で取得した身分証明書を使って、日本や欧米諸国などを訪れ、講演活動も行っています。
ちなみに、日本へは2010年7月にも訪問されています。
家族はどうなったのか?
金賢姫が大韓航空機爆破テロを起こし自殺に失敗した後、外交官だった父親を含め家族全員が強制収容所に送られたことがわかっています。
弟は大学を中退させられて、家族の面倒を見ているとのことで、
母親がまだ生きているが、父、妹、1人の弟は死去しました。
金賢姫は、事件に関与した過去を反省し、テロによる被害者に対して謝罪の意を示しており、時が過ぎて事件を忘れないよう、また若年層へ伝えることが自分の使命だとも語っています。
彼女の活動は、テロ事件の被害者やその家族、そして国際社会からも支持され、
和解や平和を促す役割を果たしています。
金賢姫の結婚した夫や子供の現在については下記に詳しく紹介しています!
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まとめ
今回は、大韓航空機爆破事件を起こした金賢姫について紹介しました。
- 大韓航空機爆破事件は、1987年韓国を陥れるため金正日の命令で起きた
- 金賢姫は北朝鮮ではエリートだったが、18歳の時に工作員に選ばれてそれ以降工作員として活動した
- 金賢姫は、死刑判決を受けたが、「事件の生き証人だから」「北朝鮮反体制のプロパガンダ(広告塔)になるから」という理由で恩赦された
- すぐに北朝鮮に対して反体制になった
- 日本の拉致被害者の情報を被害者家族に伝えている
- 人々が忘れないよう、事件を伝え続けている
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