2023年8月15日仰天ニュースで名古屋空港墜落事故が放送されます!
1994年4月26日に中華航空の台北発名古屋行きの140便が墜落し、264人もの尊い命が失われるという大惨事が起きました。
落ちた場所は名古屋空港の着陸帯内。
着陸直前になって不審な動きをした飛行機を操縦していたのは誰だったのか、どうしてそんな操縦をしたのかについて調べてみました。
- 中華航空140便墜落事故の機長は誰?
- 中華航空140便墜落事故の副操縦士は誰?
- 中華航空140便墜落事故の原因とは?
- 中華航空140便墜落事故に生存者はいたの?
- 中華航空140便墜落事故後にかわったことは?
【名古屋空港】中華航空140便墜落事故の機長は誰?
機長の名前と画像に関しては公開されていません!
- 名前:不明
- 年齢;42歳
- 性別:男性
- 総飛行時間:8340時間
- 国籍:台湾
名前などは公開されていませんが、台湾空軍のパイロットを務めたこともある人物のようです。
8000時間を超える総飛行時間と、42歳という年齢からすると、決して経験の足りないパイロットという事はなさそうです。
空軍経験のあるパイロットは上手いって、よく言うよね
この事故により、機長は亡くなっています。
【名古屋空港】中華航空140便墜落事故の副操縦士は誰?
副操縦士の名前と画像に関しては公開されていません!
- 名前:不明
- 年齢:26歳
- 性別:男性
- 総飛行時間:1624時間
- 国籍;台湾
こちらも名前などは公開されていません。
年齢と言い、飛行時間と言い、機長よりもかなり若手であるのは間違いありません。
そうは言っても1600時間飛んでるし、未熟とまではいかない感じ?
副操縦士の総飛行時間のうち1033時間が事故機と同じA300の機体によるものだったことがわかっています。
副操縦士も助かりませんでした。
【名古屋空港】中華航空140便墜落事故の原因とは?
- 機種:エアバスA300B4-622R
- 機番:B1816
エアバスA300は250~300席級の双発旅客機です。
当初は操縦士3人を必要とする仕様でしたが、後に2人用のコクピットが開発されました。
事故機はおそらくこの2人用コクピットの機体であったと考えられます。
自動操縦装置に問題があった?
エアバス社のA300やA301ではそれまでにも自動操縦に関する問題が報告されていました。
1985年3月にエアバスA300-600で降下中に、自動操縦で設定高度に達したために高度維持モードに切り替わり、自動操縦が解除されたと思い込んだパイロットが、操縦棹を押して降下を続けようとしたことでトラブルを起こしました。
幸いにも自動操縦が切り替わったために事なきを得たようです。
1988年にエアバス社は復航モードを誤って選択しても15キロ以上の力を操縦棹に加えれば解除できるようにフライトシステムを改良し、A300を運用する航空会社にサービス・ブリテンをだしていました。
サービス・ブリテンとは:航空機、部品の安全回復、故障低減などを目的に改造や検査を指示する作業指示書
これなら操縦棹を力いっぱい押せば、ちゃんと降下できるはず
しかし中華航空では緊急の改修ではないと判断し、大幅な修理などを行うと際にシステムを回収することに決定しました。
事故の経緯
11:07 | ILSによる進入許可を得る 進入は副操縦士による手動操作で行われた |
11:14 | 副操縦士が誤ってゴー・レバーを作動させたことで機体が着陸復航モードに入った そのために機体は降下せず水平飛行を開始した |
機長が副操縦士に着陸復航モードの解除を指示 副操縦士は着陸経路に入るために操作棹を押したが、着陸復航御モードは解除されていなかった | |
11:15:11 | 高度510フィートで副操縦士がスロットル(出力調整弁)が固定された事を機長に告げる 機長が操縦を交代 スロットルを引き戻すとともに、操縦棹を強く押した |
副操縦士が名古屋管制に「名古屋管制、ダイナスティ、着陸復航」と伝えた直後、スロットルは全開となって機体は1730フィートまで急上昇したのち、急激に失速し急降下する | |
11:15:45 | 滑走路34から東北東110m地点の着陸帯に墜落 |
着陸復航とは:飛行機が着陸を断念して上昇体制に移ること。ゴーアラウンドともいう。
墜ちるまでむっちゃ早くない?
中華航空140便は、名古屋空港までは問題なく飛行していました。
空港への進入許可から墜落までたった8分。
事故のきっかけとなった、副操縦士が起こしたゴーレバーの誤作動からはたった二分の間の事故です。
なぜ、こんな大惨事になってしまったんだろう
事故の原因
航空事故調査委員会の報告書で原因と認定されたのは以下の通りです。
- 副操縦士がゴー・レバーを作動させた
- 復航モードが解除されない状態で、進入を継続させた
- A300にアウト・オブ・トリム状態を知らせる警報装置がなかった
- パイロットの自動操縦モードへの理解が足りていなかった
- 機長への操縦の交代が遅れた
- パイロットの回復操作が適切でなかった
- 事故機に改修がおこなわれていなかった
- 改修を促す通告の優先度がひくかった
トリムとは:エンジン出力や速度、高度などを釣り合わせて、操舵しなくてもまっすぐ飛行できる状態
ちゃんと飛行機を改修していれば起きなかった事故だったかも
中華航空の判断が、結果的に大きな惨事を引き起こしてしまう事になりました。
犠牲者の方の冥福を心よりお祈りしたいと思います。
【名古屋空港】中華航空140便墜落事故に生存者はいたの?
中華航空140便には乗員15名、乗客256名が乗っていましたが、その内の264名が最終的に亡くなりました。
乗客の内訳は日本人が152人、台湾人が63人。日本人のほとんどがパッケージツアーの帰国便でした。
生存者は7名で、全員が翼付近の席に座っていたことがわかっています。
場所が空港内であったことから、墜落から一分以内に管制官が消防に連絡、救助活動が直ちに開始されました。
墜落から1時間半ほどで火災は沈下しています。
また、名古屋空港には航空自衛隊小牧基地が隣接していたため、当時基地にいた自衛官が救助や事故処理に携わり、ご遺体の検分やご遺族による確認は小牧基地内の格納庫にて行われました。
病院に搬送されたのは当初16人でしたが、6人は病院への到着前に亡くなられています。
病院に収容されて治療を受けた10人のうち3人が、5月1日までに亡くなられ、最終的な生存者は7人となりました。
生存者の話として、「前の席の人に割れた頭から飛び出ている脳みそを戻してくれと言われた」という話が5ちゃんねるなどに出回りましたが、出所の確認は取れませんでした。
本当だったら衝撃的な話!
- 長谷部弘義さん;3歳
- 長谷部さんの兄?:6歳
- 日本人
- 日本人
- フィリピン人
- 台湾人
- 台湾人
生存者の情報は国籍以外はほぼ発表されていませんが、当時の報道に「6歳と3歳の兄弟が奇跡的に助かった」というものがありました。
兄弟ということは、隣り合った席に座っていたのかな。
また、当時3歳だったという長谷部弘義さんが29年後にテレビのインタビューに答えたことで名前が判明しています。
長谷部弘義さん
当時3歳だった長谷部さんは、32歳の母親と搭乗していました。
母親は残念ながら亡くなりましたが、脾臓破裂などの内臓の大きな損傷や、足の骨折などの大けがを乗り越えて回復した長谷部さんは3か月後無事に退院することができました。
事故から26年後には長谷部さんは結婚し、29年後にはお子さんを連れて慰霊施設を訪れ、テレビ番組のインタビューにも答えています。
当時3歳ということは、生き残った兄弟の弟さんかな?
【名古屋空港】中華航空140便墜落事故後に変わったことは?
都市からも近い飛行場内での大惨事は、様々な変化をもたらしました。
以下が大きく変わった事象です。
①同型機の改修
事故後の5月3日に中国の民用航空局は、中華航空へエアバス社の手順に従って、改修を受けるように指示を出しました。
もっと早くやっといてほしかった…
もしも中華航空が速やかに改修を行っていたらこの事故はおきずにすんだかもしれません。
エアバス社がもっと改修の必要性を訴えていたら、中華航空も改修を急いだ可能性もあります。
②パイロットの再訓練
中華航空のパイロット全員に訓練を受けさせ、再評価をすることを命じました。
そもそも最初からもっと厳しく訓練していれば…
自動操縦に対するパイロットの理解の浅さから起きたとされるこの事故を、「パイロットが機械とけんかして起こした事故」と揶揄する声もあります。
扱う機械とけんかせずにすむ十分な訓練を、航空会社には期待したいものです。
③中華航空の日本での呼称
この事故を契機に、中華航空は日本での呼称をチャイナエアラインに変更しました。
え…
もっとも、日本国内での報道ではその後も「中華航空」と呼ばれることも多く、チャイナエアラインの公式ホームページでも「中華航空」を併記しています。
④名古屋の国際空港の場所
現在、名古屋の国際空港はセントレアの愛称で呼ばれる中部国際空港に変更されています。
はっきりした根拠は見つけられませんでしたが、この事故が海上にあるセントレアへの国際空港機能移転に拍車をかけたという意見がネット上に見受けられます。
事故のあった名古屋空港は市街地に近く、拡張が難しかったためにもともと新空港計画がありましたが、1994年のこの事故から一気に進行が早まり、2005年の開港にこぎつけたというのです。
市街地に近い空港での大惨事、可能性がないとは言えないよね。
もっとも、2005年は名古屋で「愛・地球博」が行われた年ですので、こちらの影響の方が大きいような気はします。
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まとめ
- 中華航空140便墜落事故は264人もの命が失われた大惨事
- 機長と副操縦士は共に台湾籍の男性
- 原因は自動操縦のモードに対するパイロットの理解不足
- 生存者は6歳と3歳の兄弟を含む7人
- 事故後、中華航空の日本での呼称と、名古屋の国際空港の場所が変わっている。
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