2000年5月に発生した17歳の少年による西鉄バスジャック事件は、GW中の全国に衝撃を与えました。
その時、人質の中で逃げたという人物と運転手は誰だったのか、調べました。
- 西鉄バスジャック事件で逃げた看護婦について
- 運転手の現在
このことについてみていきましょう。
【西鉄バスジャック事件】逃げた人(看護婦)は誰?
少年Aが刃物を出して、佐賀発福岡天神行きの西鉄バスを乗っとって約3時間後の15:30頃、中国道の小郡IC付近で、女性客がバスの窓から飛び降りました。
佐賀県大和町在住の当時30歳の看護婦です。
2002年3月1日看護師という名称になりました
それ以上の個人情報は分かりませんでした。
右足を骨折するなど、6週間程度のけがでした。
犯人は、その前にトイレに行くと言った女性に「戻ってこないと1人殺す」と言っていました。
しかし、逃げた女性が通報したことで、現状がわかったという事実もあります。
その話を聞いていながら逃げ出した、看護婦の女性に対しては、ひどい言葉を向けられています。
「1人逃げたら1人殺す」は脅し、見せしめだったのでしょう、実際に切りつけています。
誹謗中傷の中で仕事をやめたり、引っ越したりと辛い目にあったといいます。
亡くなられた方と一緒にバスに乗っていて、自身も命の危険を感じるほどの傷を受けた山口由美子さんは、その後、このような少年を作らないようにと子どもと親の居場所づくりなどの活動を行っています。
山口由美子さんは、逃げた乗客についても話しています。
(前略)
お見舞いに来てくれた私の友達も、「逃げたら誰かが殺されるってわかってるでしょうに、卑怯だよね」と言いました。
そこで、「あなたは、バスに乗ってそういう状況に遭ったことないでしょう。
ああいう時って自分のことしか考えられないのよ。
だから逃げようと、なにしようと、みんなが同じ被害者だと私は思っている。
とその友達に伝えました。
(後略)
国立情報学研究所 少年犯罪の被害者になって file:///C:/Users/ikuko/Downloads/KLaw0149_079-103%20(3).pdf
自分が傷つけられた立場でありながらそう考えられるすばらしい方ですね。
そして、走行中のバスの窓から飛び降りるという行為は、かなり難しいと思います。
この時には事件を把握していた県警が、道路を封鎖していたかもしれませんが、そこまでは知らなかったと思うので、後続車にひかれる可能性も頭をよぎったはずです。
実際に大けがをしています。
もしも、自分ならと考えた場合、おとなしくしていた方が助かる可能性が高いと考えます。
当事者しかわからないものがあると思います。
【西鉄バスジャック事件】運転手の現在は?
西鉄バスジャック事件で運転していたのは、当時57歳の運転手平野忠さんです。
「はがいか」とは「はがゆい」の方言ですね。
はがゆいとは、思い通りにいかずもどかしいことです。
自分がなんとかしなければ、という思いがあったのでしょう。
平野運転手は、事件後体調を崩して1年4カ月休職しました。
その後も、運転席に座ると事件のことを思い出して震えが止まらないということで、運転手には戻らずに、窓口業務についていました。
2002年12月にPTSD(心的外傷後ストレス障害)として、後遺症保障の労災認定されました。
犯罪被害者のPTSDが労災認定されるのは、めずらしいことだといいます。
現在の活動については公表されていません。
心穏やかに過ごせているといいですね。
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まとめ
西鉄バスジャック事件の逃げた人物(看護婦)と運転手について調べました。
- 逃げたのは30台の看護婦で、誹謗中傷に苦しめられたといいます。
- 運転手は当時57歳の平野忠さんで、PTSDに悩まされ、運転手に復帰することはできませんでした。
- 2002年12月にPTSDによる後遺障害で労災認定されています。
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