『関西青酸化合物連続殺害事件』の犯人として死刑判決を受けた筧千佐子(かけひちさこ)死刑囚。
これはいわゆる「後妻業」で、何人もの高齢男性を殺害し、莫大な遺産を手にしてきた女が引き起こした事件。
今回は、その犯人である筧千佐子死刑囚の死刑執行や事件の全貌、生い立ちなどを解説していきます。
- 筧千佐子の死刑執行
- 関西青酸化合物連続殺害事件の全貌
- 筧千佐子の生い立ちや家族
- 筧千佐子の遺産
筧千佐子の死刑執行は何年後?
筧千佐子死刑囚の死刑執行日はまだ決定していません。
刑事訴訟法では、『死刑の執行は判決確定の日から6ヶ月以内にしなければならない』とあります。
刑事訴訟法 第475条 死刑の執行は,法務大臣の命令による。 2 前項の命令は,判決確定の日から6箇月以内にこれをしなけ ればならない。但し,上訴権回復若しくは再審の請求,非常上 告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまで の期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまで の期間は,これをその期間に算入しない。
出典:https://www.moj.go.jp/content/000096606.pdf
ところが、2013年からの10年間で死刑が執行されたのは43件。判決がくだされてから平均で約8年です。
ちなみに、この10年間で40件の死刑判決が確定、そのうち執行されたのは3件でした。
短いもので1年半、長くて18年とさまざま。
これまで多くの事件で死刑判決がくだされましたが、6ヶ月以内で死刑が執行されたという情報は見当たりません。
参考サイト:https://www.crimeinfo.jp/data/dplist/dplist_all/
筧千佐子の裁判の判決内容は?
京都、大阪、兵庫の近畿3府県で、青酸化合物を夫や交際相手4人に飲ませ、内3人を殺害したとして、殺人と強盗殺人未遂で逮捕された筧千佐子容疑者。
一審の京都地裁で死刑判決を受け、二審の大阪高裁で控訴を棄却、2021年の最高裁で上告を棄却され死刑が確定されました。
筧千佐子の青酸化合物連続殺害事件の全貌!
死刑判決がくだされた筧千佐子死刑囚ですが、『青酸化合物連続殺害事件』とはいったいどんな事件だったのでしょうか。
事件発覚からの経緯はこちら。
2013年 結婚したばかりの夫が死亡した際、司法解剖で青酸化合物が検出され事件が発覚
↓
当時千佐子には約1,000万円の借金があり、夫や内縁関係者が死亡し遺産を受け取っていたことで、連続殺人の容疑がかかる
↓
2014年 捜査の結果、さらに大阪府、兵庫県の男性3名の死亡に関与しているとして殺人と強盗殺人未遂で逮捕・起訴
↓
2021年 最高裁で死刑が確定
次は、時系列で千佐子死刑囚がおこなっていた犯行をみてみましょう。(太字は起訴案件です)
1969年 | Aさんと結婚 一男一女をもうけ、ミカン農家を手伝う |
1994年 | Aさんが病死 死亡保険金は印刷業の運転資金として借りた分の返済へ |
1998年 | 結婚相談所に登録 |
2001年 | 印刷業を廃業 数年前から金融商品に手を出す |
2002年 | 交際相手の資産家Bさんがマンション購入後に死亡 |
2003年 | Cさんと交際 |
2005年 | Cさんが死亡 財産の一部を受け取り姿を消す Dさんと交際 |
2006年 | 5月 Eさんと入籍(Dさんとは交際中) 8月 Eさんが死亡 土地建物を自分名義にして売却 |
2007年 | 先物取引の会社に数億円つぎ込み交際中のDさんからも投資金を預かる Fさんと交際 Gさんとも交際 12月 Dさんからの投資金を返済約束後、青酸化合物を飲ませる Dさんは入退院をくり返す Fさんから公正証書をとりつける |
2008年 | 3月 Fさんが死亡 公正証書を盾に遺産を要求 4月 Gさんと入籍 5月 Gさんが死亡 死亡5日前に作成した公正証書で遺産を相続 Dさんの家族から投資金返済を迫られGさんの遺産を充てる |
2009年 | 入退院をくり返していたDさんが死亡 |
2010年 | Hさんと交際 |
2011年 | 12月 Hさんが公正証書を作成 |
2012年 | 3月 Hさんが死亡 血液検査で青酸化合物が検出される 公正証書作成、死亡保険金、マンション売却で遺産を取得 I さんと交際 J さんとも交際 |
2013年 | 5月 I さんが死亡 6月 Kさんと交際 9月 公正証書を作成後、J さんが死亡 11月 Kさんと入籍 12月 Kさんが死亡 血液から致死量を上回る青酸成分が検出 不審に思った親族が銀行口座を凍結 |
2014年 | 千佐子の自宅から青酸化合物の入った小さな袋が発見され、Kさん殺人容疑で逮捕 その後、D・H・Jさんに対し殺人及び殺人容疑で再逮捕される 他の余罪に対しても送検されるが、嫌疑不十分として不起訴となる |
この事件は、似た事件が描かれている小説のタイトルをとり『後妻業事件』とも呼ばれています。
筧千佐子死刑囚は、結婚相談所を通じて資産家と内縁関係に発展。
千佐子死刑囚に遺産相続させる旨の遺言公正証書を作成させた後、被害者男性に青酸化合物を飲ませ殺害しています。
これを複数人同時進行でやっていたとのことなので、千佐子死刑囚は相当頭の切れる人のようですね。
参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E8%A5%BF%E9%9D%92%E9%85%B8%E9%80%A3%E7%B6%9A%E6%AD%BB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
参考サイト:https://bunshun.jp/articles/-/47598?page=5
筧千佐子の生い立ちや若い頃!
1946年11月28日、長崎県長崎市にて未婚の母の子として誕生。
すぐに福岡県八幡市(現北九州市)に養子に出されています。
同じ中学に通っていた同級生の女性はこのように語っていました。
「彼女は中学でもとにかく学業の成績はよかったんですけど、運動は苦手だったんですね。それであるとき彼女が先生に『私は運動はできないけど、とにかくできないなりに頑張った。だから体育の点を上げてください』って直訴したんです。」
出典:https://bunshun.jp/articles/-/47598
その女性によると、千佐子死刑囚は言いたいことは言う、というタイプだったそう。
さらに、同じ高校だったという男性からはこんな発言も。
「手芸部に所属していましたが、校内でも有名な美人でしたよ。落ち着いた印象で、成績も優秀とあって、ファンの男子生徒も多かったです。本人は大学に進学したかったんですが、家庭の事情で断念して、地元の都市銀行に就職しました」
出典:https://www.news-postseven.com/archives/20141129_289369.html?DETAIL
千佐子死刑囚は、頭もよく美人で人気者だったことが伺えます。
しかし、心の底では内に秘めた何か強い思いがあったのでは・・・と感じずにはいられません。
筧千佐子が結婚した旦那は誰だった?
筧千佐子死刑囚が生涯に結婚したのは4回。
1回目 1969年 ミカン農家→印刷業経営者 1970年長男・1971年長女出産
2回目 2006年 薬局経営者
3回目 2008年 資産家
4回目 2013年 元大手電機メーカー社員
2回目の結婚からは、いずれも結婚相談所で紹介された資産家と入籍。
婚姻関係にあった人は4名ですが、ほか7名とも交際しており、総勢11名と関係があったといいます。
その全員が資産家で、重複した期間がそれぞれあったとは、驚きをかくせません。
筧千佐子の認知症はデマ?
2017年の一審では「認知症を最大限考慮しても死刑を回避すべき事情はない」と言い渡されました。
筧千佐子死刑囚は2015年ころから軽度のアルツハイマー病と診断されていたようです。
この事件は認知症が争点のひとつとされており、2016年9月に筧千佐子死刑囚は精神鑑定を行っています。
鑑定をした医師は、鑑定を迷うほどの軽度で事件当時、認知症は罹患していなかった、と認定。
前項での重複スケジュールの一貫性をみれば、認知症とは思えませんよね。
筧千佐子の娘は現在何してる?
筧千佐子死刑囚は1回目の結婚で、1971年に長女を出産しています。
2023年には52歳になっていると思われます。
ふたりの子供たちを私立の大学に通わせていた、という千佐子死刑囚。
その後の長女の行方は判明していません。
筧千佐子の遺産はいくら?
筧千佐子死刑囚が手にしたこの事件の遺産総額は、なんと10億円にものぼるといいます。
最後の夫が死亡したとき、筧千佐子死刑囚には約1,000万円の借金があったそうですが、残りはどこへ消えたのでしょうか。
千佐子死刑囚は以前、先物取引で勧誘された投資会社に数億円をつぎ込んでいたとのことなので、その後の遺産も投資資金になっていたと思われます。
まとめ
以上、青酸化合物連続殺害事件で死刑判決がくだった筧千佐子死刑囚の死刑執行や事件の全貌、生い立ちなどをお伝えしました。
- 筧千佐子死刑囚の死刑執行はまだ決定していない
- 青酸化合物連続殺害事件の全貌
- 筧千佐子死刑囚の若い頃は美人で成績優秀な学生だった
- 筧千佐子死刑囚の夫は全員資産家だった
- 事件当時、筧千佐子死刑囚は認知症を罹患していなかった
- 筧千佐子死刑囚の娘の所在は判明していない
- 筧千佐子死刑囚の遺産は総額10億円
このまま、ことの成り行きを静観していきたいと思います。
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