2023年6月27日の「ザ!世界仰天ニュース」で、殺人犯市橋達也の逃亡961日が取り上げられます。
市橋達也はイギリス人女性を殺害し、無期懲役になっていますが、捕まる時に逃げ出して2年以上逃げていたのです。
そこで、逃亡期間中整形をして顔を変えていた市橋の顔の画像の変化や整形外科の場所はどこなのかを探索します。
- 市橋達也が起こした「リンゼイ・アン・ホーカー殺人事件」とは?
- 市橋達也の現在が無期懲役刑なことについて
- 市橋達也の顔画像の変化を紹介
- 市橋の利用した整形外科はどこなのか?
今回は市橋達也が逃亡した961日について考えます。
市橋達也が起こした「リンゼイ・アン・ホーカー殺人事件」とは?
- 事件の起きた日時:2007年3月26日
- 場所:千葉県市川市福栄2丁目
- 被害者:リンゼイ・アン・ホーカー(イギリス人)当時22歳
- 事件内容:被害者を暴行し、監禁した。被害者が逃げそうになったので首を絞めて殺した。その後逃げ回る。
- 犯人:市橋達也(当時28歳)
リンゼイさんは当時、英会話学校「NOVA」で働いていました。しかし、2007年3月20日市橋がメトロ行徳駅付近で声をかけ、その後被害者宅まで押しかけてメルアドを聞くなどしました。
この時、カナダ人のルームメイトとリンゼイさんは一緒に暮らしていました。
その後、3500円で英会話レッスンを個人で行うことで話がつきました。
3月25日朝9時頃、行徳駅近くの喫茶店に二人がレッスンのために訪れ、レッスンの後、市橋はお金を忘れたといい、二人はお金をとりに市橋の家にタクシーで行きました。
市橋は両親が医者で、医学部を目指していましたが、4浪後、千葉大学の園芸学部を卒業、就職はせずに外国の大学院を目指して英語を勉強中で、親所有の3DKのマンションで月12万円の仕送りを受けながら英語の勉強をしていました。
【リンゼイさん】
タクシーで市橋の家に着くと、押し倒し、拘束バンドなどで縛って乱暴しました。
その後、取り外し可能な浴槽を和室に置き、被害者を監禁しました。
拘束を外すよう訴える被害者を殴りつけ、3月26日の夜2時〜3時頃、手の拘束を外して被害者が逃げ出そうとしたので首を圧迫して窒息死させました。
リンゼイさんのカナダ人のルームメイトが、3月26日に警察に通報しました。
そして警察(千葉県船橋警察署)が午後9時40分ごろ、市橋のマンションに到着し、4階の市橋の家に行き、中に入ろうとすると市橋は走って非常階段を使って下に降りて逃げました。
市橋達也の逃亡について
警察は捜査員を100人から150人に増やし、チラシ(上記)を3万枚配布し、懸賞金を1000万円にして市橋達也を探しましたが見つけることができず、2008年3月13日市橋が変装したイメージ画像を載せた手配ポスターを4000枚、チラシを3万枚配布しました。
市橋は逃走直後にゴミ捨て場からサンダルと上着を手に入れ、当時交際中だった車を所有する女性を一緒に逃亡しようと誘う電話をかけましたが、彼女は通話中だったため誘うことはできませんでした。
市橋は財布に5万円持っているだけでした。
逃亡初日:放置自転車や電車を利用して、市川市の自宅から上野経由で秋葉原まで移動
途中で東京大学医学部附属病院に寄り、障がい者用トイレで自分で自分の整形手術を行う
人相を変えるために鼻翼を左右から縫い縮める
市橋は北関東を放浪し、その後青森へ行きました。
なぜなら、事件前に福岡に住む友人にメールで遊びに行くと送っていたことを思い出し、南に行くと捕まると思い青森へ逃げたのです。
また、自己整形手術を行い、ほくろを切り落とす、下唇を小さくするためハサミで削除、などをしました。
青森では青森の経済状態が良くないと考え、大阪西成に行って職業安定所で仕事を探すことにします。
しかし職を得ることはなく、岡山県を経由して四国へ移ります。四国では遍路道を歩き、贖罪の意味を持って歩いたといいますが、指名手配書がお遍路のどこにでも貼ってあることからすぐに捕まると考えます。
そしてお金も無くなってきたので無人島で過ごすことを考え、沖縄のオーハ島に決めました。
初回のオーハ島は準備不足のため1週間で挫折、お金が無くなったので沖縄の建設現場で偽名で働きます。
途中警察の姿が見えると、自分を逮捕しにきたのではと考え、何もかも宿泊所に置いたまま逃げるという生活を送っていました。
その経験から、大阪で資金を得てオーハ島で生活するという二重生活を考え、それを実行に移し、オーハ島には最長で3ヶ月滞在していました。
そして働いて得たお金がある程度貯まったので、2009年10月23日24日に名古屋の形成外科で、眉間の形成手術を受けました。
整形したから通報されたのはなんとも言えないわ
当時オーハ島には70代の男性一人が生活していたとのことです。
オーハ島では自給自足生活を送り、隣の奥武島まで泳いで渡って水を一週間分手に入れ戻るという生活を送りました。
逮捕されたのはオーハ島を目指して移動中の2009年11月9日のことでした。
市橋達也の現在は無期懲役
市橋達也は色々なところから通報されて結局逮捕されました。
- 美容整形外科
- 建設現場
- フェリー乗り場
2009年11月9日に逮捕され、2009年12月23日に起訴され裁判員裁判により審理されることになりました。
2011年7月11日に、第一審で求刑どおり無期懲役が言い渡される。
2012年3月15日、控訴審で棄却され、4月25日市橋は長野刑務所に移送されました。
市橋達也の顔画像の変化を紹介
1番わかりやすいのは、警察が作った顔画像です。
初めと整形手術後の顔は次のように変わりました。
目を手術したらもっとわかりにくい顔になったんじゃないかと思いますが、すごく悪い奴に見える顔が、ちょっと悪い顔に変わったくらいでそれほど大きく違うわけではないと思いました。
目の一重は市橋本人の書いた本ではアイプチを使っていたと言っていましたがあまりはっきりしませんね。
残念ながら、逃走時に自己整形手術した時の画像はないため、ここでは紹介できませんが、最終的にこのような顔になったということでした。
市橋達也の利用した整形外科はどこ?
名古屋市内の形成外科ということしかわかっていません。
ヴェリテかリッツという形成外科ではないかと一部では出回っていますが、わかっていません。
ここに整形に訪れ、鼻を高くしたそうですが、それまでに自己整形を行っていたのでわからなかったようです。
その後、男性には珍しいほくろ削除をしていることから奇妙に思い手配写真と比べて気づいたとのことでした。
自分でほくろを削除したことが捕まる原因になるとか、なんとも言えないですね。
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まとめ
今回はイギリス人女性リンゼイ・アン・ホーカーさんを暴行殺害した市橋達也について調べました。
- 市橋達也はリンゼイさんを首を圧迫して殺した
- 市橋達也は無期懲役の判決を受けて長野刑務所に移送されている
- リンゼイさんは英会話学校の教師で22歳だった
- 市橋は逃走後、西成区や沖縄の建設会社で働いてお金を得て、整形を行った
- 沖縄のオーハ島と大阪を行ったり来たりして生活していた
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