堀江ひとみと娘の若い頃の画像は?暴力団を壊滅させた復讐劇とは?【仰天ニュース】

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2023年9月19日「ザ!世界仰天ニュース」で、暴力団の銃の流れ弾に当たって死んだ娘の復讐に立ち上がり、暴力団と戦って基金などを設立した堀江ひとみさんが取り上げられます。

堀江さんと娘の画像や、暴力団を壊滅させた復讐劇とはどんなものだったのか見ていきたいと思います。

この記事でわかること
  • 堀江ひとみの娘が射殺された事件とは?
  • 堀江ひとみと娘の若い頃の画像は?
  • 堀江ひとみのプロフィール
  • 堀江ひとみが暴力団を壊滅させた復讐劇とは?
  • 堀江ひとみの裁判で証言した実行犯の手紙

今回は堀江ひとみさんの暴力団との戦いについて調べます。

目次
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堀江ひとみの娘が射殺された事件とは?

起きた日時:1985年9月23日

場所:兵庫県尼崎市園田駅前スナック

被害者:堀江摩耶(ほりえ まや)19歳

犯人:暴力団東組系清勇会の組員

事件の内容:スナックでバンドでドラムを叩くアルバイトをしていた摩耶さんに、そこにいた暴力団員の抗争で撃った弾が摩耶さんのお腹に当たり亡くなる

1985年の尼崎市、阪神の優勝があった年です。堀江摩耶さんは、園田駅前のスナックでバンドのアルバイトを始めて通っていました。

摩耶さんは由緒あるお寺の子として産まれ、若くして「堀江紫月」という名で書の名取となり、またお琴と三味線でも師範位を獲得するほどでした。カトリックの学校に通い、生徒会長を努めました。

友達と組んだバンドではドラムとボーカルを担当、それでバイトを始めたことでこの事件に巻き込まれました。

暴力団の対立抗争する組員に向けて発射された弾丸が、19歳の女性のお腹に当たり、病院に運ばれましたが亡くなりました。

病院に呼ばれてやってきたお母さんのひとみさんは、病院に警察がいることで何かあったとわかったそうです。

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堀江ひとみと娘の若い頃の画像は?

こちらは堀江ひとみさんの画像です。

出典:https://www.kobe-np.co.jp/

この画像は1995年5月に娘の摩耶さん銃撃事件の暴力団組長との和解を受けて会見した時のものです。

摩耶さんの画像は見つけることができませんでした。まだ一般のインターネットの利用が普及する前のことなので、見つけるのが難しいのかもしれません。

テレビに映るのではないかと思っています。

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堀江ひとみのプロフィール

堀江ひとみさんは、暴力団から被害を受けた人を支えていました。

心不全で11年前に亡くなってしまいましたが、その活動は今も讃えられています。

堀江ひとみのプロフィール

名前:堀江ひとみ

享年:77歳

生年月日:1935年

没年月日:2012年4月15日

亡くなった場所:静岡県河津町の自宅

堀江ひとみさんは摩耶基金、暴力団被害者の会、暴力団被害救済基金に尽力し、暴力団撲滅のために闘ってきました。

また被害に遭った人たちを助けてきています。

ひとみさんの摩耶さんのための暴力団復讐劇のような闘いを次に紹介します。

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堀江ひとみが暴力団を壊滅させた復讐劇とは?

堀江ひとみさんは、摩耶さんが亡くなってから悲しみに沈んでいました。射撃犯が捕まってもその気持ちは変わらず、「嘆くだけでは摩耶の供養にならない。摩耶のためにも、暴力団と闘うしかない」と考えました。

マルタイの女

1992年9月、大変な勇気を持って暴力団組長の責任を追求する損害賠償請求訴訟を起こします。

この訴訟は射撃を行なった実行犯だけでなく、組長の責任を追求する画期的な訴訟でした。

この訴訟を始めてから、ひとみさんは「マルタイの女」と呼ばれるようになります。これは同名の映画がありますが、「警察の要保護対象」という意味です。

暴力団に何かされることを予想して警察がひとみさんが出かける時に保護されるようになりました。

それでも、電車を待っている時など突き落とされそうになったことが何度もあったようです。

そして1995年5月に組長は使用者責任を認め、和解しました。その際組長側は4000万円を和解金として支払っており、このお金を使って「摩耶基金」を設立しました。

出典:http://amazon.co.jp

摩耶基金

摩耶基金は、暴力団撲滅と民暴撲滅のために使われる基金です。

摩耶基金を使って、全国で繰り広げられる暴力団との戦いに提供したり、暴力団をなくすために使用されています。

そしてこの摩耶基金は「暴力団被害者の会」「暴力団被害救済基金」につながりました。

暴力団被害者の会

ひとみさんは「暴力団被害者の会」の会長になりました。

そして暴力団追放のために全国で講演したり、暴力団の発砲事件の被害者家族の支援のために生涯に渡り活動しました。

講演のために移動するときも、警察が保護していたそうです。

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堀江ひとみの裁判で証言した実行犯の手紙

摩耶さんを射殺した実行犯は、懲役18年の実刑を受けました。

そして刑務所で働いて得るお金を毎月ひとみさんに送っていたそうです。

その犯人が送った手紙を紹介します。

『やくざ者の抗争事件とは言え、何の罪もない摩耶さんを巻き添えで死なせてしまってから、この六年八カ月、私の心の晴れたことはありませんでした。・・・

今回の事件で私の共犯者達は自分達が自供した事を全てひっくりかえして親分に有利になるように助ける証言をして証人として出廷しています・・。

真実はひとつなのです。いくら私の元親分と言っても私は親分だと思っていません。会長であろうと親分であろうと悪いことは悪いのです。

あまりにも醜く、往生際が悪く、人の上に立つ品格が全くなく・・ガッカリしています。・・私は本当のこ
とを、真実を証言していきます。

よく私の姿を見ていてください。・・証言する事によって、私は組から命をねらわれる事になるのは必定ですが、・・摩耶さんのことを思うとそんなことは・・恐れていません。』

http://www.ichikiyo.com/

人の上に立つ品格っていうの、すごくわかるわ
そういう残念な人たまにいる

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まとめ

暴力団被害者の会会長だった堀江ひとみさんについてまとめました。

  • 娘の摩耶さんが暴力団抗争中の暴力団員の射撃にあたり亡くなる
  • 摩耶さんのようなことが起こらないように暴力団と闘うことを決める
  • 実行犯でなく命令した組長を相手どり訴訟を起こし、勝訴和解する。
  • 組長の使用責任を認めたのは初めてで、この後同じような裁判が起きて勝訴している
  • 摩耶基金を設立し、暴力団被害者の会や暴力団被害救済基金などで活動した
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  • 生年月日と没年月日に矛盾が生じてます

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