1995年3月20日、無差別テロである地下鉄サリン事件が起こりました。オウム真理教の信者が
東京の地下鉄の中で猛毒の神経ガス「サリン」をまき、6000人以上の被害が出た事件です。
教祖の麻原彰晃が首謀として逮捕され、2018年地下鉄サリン事件に関わったオウム真理教信者死刑囚13名と処刑されました。
オウム真理教の教祖である麻原彰晃とは一体どんな人物だったのか、大勢の信者を信用させることができたのは
なぜなのか、麻原彰晃について調査したいと思います。
- 麻原彰晃の若い頃とは
- 麻原彰晃が天才と呼ばれた理由
- 麻原彰晃の経歴や生い立ち
麻原彰晃の生い立ちとは?
麻原彰晃は1955年熊本県八重市高植町の「松本畳店」を経営する畳職人の家庭の7番目、松本智津夫として生まれました。
兄弟は全員で9人おり、12歳年上の兄は全盲、5男も弱視の視力障害があり
智津夫も生まれた時から先天性の緑内障を患っており左目の視力はほとんど視力がなかったそうです。
智津夫の家は貧しく両親は働きづめで、兄や姉を親代わりに幼少期を過ごしていました。
テレビアニメが大好きで智津夫が尊敬する長兄にもチャンネル権を譲ることはなかったそうです。
この頃は普通の子供な感じがするけどな…
小学校から盲学校へ転入し、親元を離れ寮生活を送ります。盲学校では、全盲の生徒への恐喝や暴行、
さらに同級生を恐喝し、退学を求める声が上がったほどです。
麻原彰晃の家庭が貧しかったため、目が見えていたのに盲学校に行くことになってしまいました。
盲学校に行く事は、学費や食費、宿舎の費用がかからないため両親が決めたことです。
もし、麻原彰晃の家庭が裕福だったら盲学校ではなく、普通の学校に通っていたかもしれないですね!
麻原彰晃の経歴とは?
麻原彰晃の最終学歴は1975年熊本県立盲学校卒業です。
麻原彰晃は小学校に入学後、視力障害を理由に盲学校へ転入しています。
経済的に貧しかったため、両親が盲学校への転入を決めました。
目が見えてても?盲学校って行けるの?
麻原彰晃は、全く見えなかったわけではないので、盲学校へ行く事を嫌がりましたが、
家庭が貧しかっため食費や学費のかからない盲学校へ転入することになりました。
高等部になると「自分のように困ってる人を救う仕事がしたい」という思いから熊本大学医学部を志望していますが、
医学部は視力障害者では医師免許が取れないことを知り、諦め高等部専攻科へ進学しています。
その後は、東京大学文化1類を目指し3度受験するも合格せず断念しています。
麻原彰晃は、東京大学を志望するくらい頭が良かったということなのかもしれないです。
東京大学目指すほど頭が良いの⁉
盲学校を卒業後に石井知子と知り合い結婚、新居を構え松本鍼灸院を開設します。
しかし、鍼灸院では病気を完治することができず、無力感を抱きオウム神仙会へ弟子入りします。
ここで、【彰晃】という名前をもらったといわれています。
これは、後のオウム真理教の教祖へ繋がります。
麻原彰晃の若い頃とは?
麻原彰晃の子供の頃は、いたずら繰り返し兄や姉からよくしかられ外に放りだされていたそうです。
盲学校での麻原彰晃は、目が見えていたため他の子供たちを子分にして暴力で支配し、窃盗を命じたり、リンチや金品を要求していた。
この時から支配欲が強かったんですね
宿舎では、消灯時間を過ぎても明かりを消さなかったため寮母に注意された際は、「撃ち殺すぞ」など暴言をはくこともあったそうです。
さらに卒業するころには、同級生を恐喝し300万円の貯金をしていました。
盲学校を退学させるよう要望もあったそうです。
盲学校にいた頃から、思いのままに他人を支配することができていました。
麻原彰晃は、この経験もありオウム真理教の信者を思いのままに支配していたのかもしれません。
麻原彰晃の天才と呼ばれた理由とは?
麻原彰晃が若い頃天才と呼ばれていたの大きく分けて2つあります!
- 高いマインドコントロール技術
- カリスマ性が強い
彼をカリスマたらしめたのは、麻原教祖が持っていた対人操作能力だと思われます。
彼は、信者を暗示に掛け、まるで催眠術師のように、相手の意識を操作しました。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/08170559/?all=1
相手を意のままに操るということは、そう簡単なことではありません。
麻原彰晃は、かっこいい容姿やイケメンで人々を引き付け多くの信者を魅了していたとは考えにくく、
彼のどんな魅力に大勢の信者が魅せられたのでしょうか?
麻原彰晃の手口は大人になっても武力や恐怖でで相手を追い込みコントロールする!
麻原彰晃は、相手を洗脳することが上手かったということだと言えます。
「最も簡単な方法は、人を身体的に追い詰めること。食事や運動を制限したり睡眠を遮断するなどして、身体を疲れ切った状態にさせ、自分自身で物事を冷静に判断できない状態にさせるのです。
こうした“暗示”にかかりやすい状況で何かを吹き込めば、誰の言うことにでも操られやすくなる」
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/07180557/?all=1&page=2
「『感覚遮断』も有効です。オウムは、信者を個室に閉じ込めて、アイマスクと耳栓をつけて瞑想させていたそうですが、そのような状態に置かれると、頭の中に自らの過去の映像やイメージが映ることがあり、それを幻覚と認識してしまうのです。
更には、性欲の制限。
食欲、睡眠欲と共に、人間の三大欲求を遮断すれば、幻覚が助長される。
あるいは、睡眠を極端に減らし、意識を低下させて頭が混乱する『せん妄』状態を作り、
そこへ麻原の声を録音したテープを流したりすれば、脳は幻覚と共にその内容を受け入れてしまうのです」
これらは、神秘的な体験でも超能力でもなく科学的な現象であり、信者達を追い詰め修行といい、極限状態に陥れマインドコントロールしていったと言えます。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/07180557/?all=1&page=2
信者に対し修行として、人を身体的精神的に追い詰め、正しい判断ができない状況にすることで【麻原彰晃の言う事を聞く】状況を作りだしたのです。
麻原彰晃がオウム真理教を作った理由は?
麻原彰晃がオウム真理教を設立したのは、税制の優遇が目的でした。
1983年に仙道、ヨーガ、東洋医学などを統合した能力開発の指導を行う学習塾「鳳凰慶林館」を開設して名前を麻原彰晃と名乗るようになりました。
塾生は女性に限定されダイエット美容や健康が法が中心のビジネスで、当時麻原彰晃は、ヨーガの先生といった様子で宗教的な要素はなかったと言われています。
ヨーガの先生だったの…?
1987年税制面で優遇されることに目を付け、ヨーガを信仰していた多くの信者の意向を押し切り、宗教の団体として変更することを決め「オウム真理教」へ名前を変更した。
こうして、オウム真理教が誕生しました。
初めは、税制が優遇されるからヨーガから宗教団体へ変わっていったようです。
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まとめ
- 麻原彰晃は若い頃、盲学校で目が見えていたため他の生徒を暴力で支配しリンチや、金品を要求していた
- 麻原彰晃が天才と呼ばれていたのは、高いマインドコントロール技術を持っていたこと、
さらに、カリスマ性があったから - 麻原彰晃の生い立ちは、貧しい家に生まれ盲学校を卒業し結婚、鍼灸院を開設するが無力感から
オウム真理教の教祖へと繋がっている - 麻原彰晃の最終学歴は熊本県立盲学校卒業
- 麻原彰晃は、税制が優遇されるためにヨーガ教室を変更し宗教団体であるオウム真理教を設立した
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