20023年3月28日に、音楽家の坂本龍一さんが亡くなりました。
まだ71歳で、才能のある人が残念なことになってしまいました。
坂本さんはステージ4の直腸がんだったそうですが、この病気はいつから闘ってきたのでしょうか。
その原因や死去までの闘病生活について詳しく調べることにします。
- 坂本龍一の中咽頭がんから直腸がんの関係
- 坂本龍一の闘病生活の時の活動
- 坂本龍一が通院・入院していた病院
今回は坂本龍一さんの闘病生活について詳しくまとめます。
坂本龍一のプロフィール

世界的に有名な坂本龍一さんが2023年3月28日に直腸癌で亡くなりました。
日本だけでなく世界的にも有名な音楽家で、クラシックを基盤としていますが、幅広い音楽性を持っていました。
きっと、多くの人が『あっ!これ聞いたことある』と思う楽曲を沢山提供していますね。
坂本龍一さんは直腸癌で亡くなりましたが、過去にもがんが発症していた経緯もあります。
彼ががんとどのように向き合い闘病生活を送っていたのか詳しく調べてみました。
坂本龍一の癌闘病生活について
- 2014年:中咽頭癌発症
- 2021年:直腸がん発症及び転移巣の手術
※肺への転移が認められる - 2022年:両肺に転移したがん摘出手術
- 2023年:東京都内の病院で死去
2014年から発症している癌から死去に至るまで、
どんな闘病生活を送ってきたのか詳しく確認していきましょ!
坂本龍一の中咽頭癌について

坂本龍一さんが癌を発症したのは2014年の事でした!
当時、坂本龍一さんはご自身の健康にはかなり自信があったようです。
病気の発覚については「実は自分が1番驚いたのです」と振り返った坂本。
20年以上前から健康に大きな関心を寄せ、マクロビオティックや無農薬有機食品を摂ることなどを心がけてきたという。
そんな健康への自信から、喉に違和感を感じた際も、「万が一にもそれががんだとは疑いもしなかったのです」と明かした。
引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/07/10/kiji/K20140710008536040.html

でもたばこは吸っていた!
坂本龍一さんは過去、長年にわたりたばこを吸っていたことが分かっています。
咽頭がんはたばことの関連が深いと言われており、喫煙者と非喫煙者では咽頭がんになる確率は2.4倍も違うようです!
坂本も長年の愛煙家で、かつては周囲に「胸が苦しい」と漏らしたこともあった。
それが9年前、ハリ治療で禁煙に成功。それ以来1本も吸っていない。
引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/07/10/kiji/K20140710008536040.html
2005年に針治療で禁煙に成功していますが、53歳までたばこを吸い続けてきたダメージは大きかったのかもしれません。
坂本龍一の直腸がんはいつから?
元々、2014年に直腸癌が確認されており、その6年後に別の臓器で癌が見つかりました!
2020年7月にニューヨークで治療が開始!
2020年11月には一度治療を終え、日本へ帰国しています。

しかし・・・・
- 帰国2週間後に人間ドックを受信
- 2020年12月11日:異なる直腸がん由来の病巣が確認される!
- 転移:肝臓2か所とリンパへの転移も見られた。
- 2021年1月:手術を受ける
この当時、治療をしなければ「余命半年」と医師から宣言されていたそうです。
それ以来日本に戻って治療を進めてきました。
2021年には手術を実施。大腸を30センチを切る大きな手術が行われました。
mた、その後も肺の転移など合計6回もこの時点で手術しています!
両肺に転移したがん摘出手術
- 2022年10月:摘出手術7回目
- 2022年12月:摘出手術8回目
2022年に再び癌の転移が確認され治療へ。

この時既にステージ4!
年齢も70歳ということもあり、かなり厳しい状況だったのは間違いありません。
坂本龍一死去
2023年3月28日に坂本龍一さんは亡くなりました!
特にここ半年は凄絶な闘病だった。
亡くなる1、2日前には家族や医師に「つらい。もう、逝かせてくれ」と頼み込むほど。
関係者は「弱音を吐かなかった彼がそんなことを言うとは…。よほど苦しかったのだろう」と思いやった。
このコメントを見ても、どれだけ壮絶な闘病生活だったのかが良く分かります!
自分が苦しい中でも音楽を通じて最後まで活動してきたそうです。
坂本龍一さんが癌を患って以降も音楽を通じてどんな活動をしてきたのか確認してみようと思います!
坂本龍一:闘病生活の時の音楽活動

坂本龍一さんは癌と戦いながらも音楽を通じて活動を続けてきました!

闘病しながらどれだけの活動をしてきたのか?
- 2015年:映画『母と暮せば』の音楽で仕事復帰
※映画コンクール・音楽賞を受賞 - 2017年:ドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto』を公開
- 2018年:坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK: async公開
- 2022年3月:東北復興支援プロジェクトに参加
- 2022年12月:ピアノのソロコンサートを世界配信
- 2022年7月:「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」の連載
- 2023年3月初旬:明治神宮外苑の再開発見直しを訴える
中咽頭癌発症後にはすぐに映画の曲造りに復帰し、その後も自分のドキュメンタリー映画などを公開していました!
また、2022年には東北復興支援プロジェクトとして子供達と音楽を演奏する為にニューヨークから帰国しました。

3年間コロナ禍で開催できなかった
3年間コロナで開催できませんでしたが、2022年は東京・サントリーホールで東北復興支援プロジェクトのイベントが開催されました。
その後、癌が肺へ転移しており、再び治療に入ると2022年には『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』を連載。
入院先でのパートナーや友人とのエピソードから、両親の訃報に接したときのこと、
そして自身の死生観や創作観の変化についてまで、初めて明かされる事実が赤裸々に語られます。
引用:https://www.shinchosha.co.jp/news/article/2870/

明治神宮外苑の再開発講義文を都知事に提出
2023年3月初旬には再開発によって明治神宮外苑の歴史ある自然が切り倒されてしまう事への講義文を池田百合子都知事へ提出。
音楽活動だけでなく、社会貢献に関しても最後まで取り組みました!
明治神宮外苑の再開発見直し抗議文

実際に坂本龍一さんが送った手紙がコチラになります!
東京都知事
小池百合子様
突然のお手紙、失礼します。私は音楽家の坂本龍一です。
神宮外苑の再開発について私の考えをお伝えしたく筆をとりました。
どうかご一読ください。
率直に言って、目の前の経済的利益のために先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではありません。
これらの樹々はどんな人にも恩恵をもたらしますが、開発によって恩恵を得るのは一握りの富裕層にしか過ぎません。この樹々は一度失ったら二度と取り戻すことができない自然です。
私が住むニューヨークでは、2007年、当時のブルームバーグ市長が市内に100万本の木を植えるというプロジェクトをスタートさせました。
環境面や心の健康への配慮、社会正義、そして何より未来のためであるとの目標をかかげてのこと、慧眼(けいがん)です。
NY市に追随するように、ボストンやLAなどのアメリカの大都市や中規模都市でも植林キャンペーンが進んでいます。
(中略)
いま世界はSDGs(持続可能な開発目標)を推進していますが、神宮外苑の開発はとても持続可能なものとは言えません。
持続可能であらんとするなら、これらの樹々を私たちが未来の子供達へと手渡せるよう、
現在進められている神宮外苑地区再開発計画を中断し、計画を見直すべきです。
東京を「都市と自然の聖地」と位置づけ、そのゴールに向け政治主導をすることこそ、
世界の称賛を得るのではないでしょうか。
そして、神宮外苑を未来永劫(えいごう)守るためにも、
むしろこの機会に神宮外苑を日本の名勝として指定していただくことを謹んでお願いしたく存じます。
あなたのリーダーシップに期待します。
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/c1e3ccc83c56387a721f9d64bd904ae9761c40b3
闘病生活のなかでも、東京の歴史や文化を守る為に都知事へ直接コメントを残すなど、
多大なる貢献をしてくれていたんですね!
坂本龍一が癌治療した病院は?

神宮外苑再開発の見直しを訴えた坂本さんの入院していた病院は、神宮外苑が病院の窓から見えるということでした。
そうなると、慶應義塾大学病院ではないかと思われます。
慶応義塾大学病院 東京都新宿区信濃町35
坂本さんは都立新宿高校出身でもあり、新宿区はとてもよくわかっている方なので、ここに入院されたとも考えることができます。
まとめ
坂本龍一が亡くなりました。その闘病生活について詳しく調べてみました。
- 2020年6月に直腸がんが発見される
- 2020年12月に転移が肺、肝臓二ヶ所、リンパなどに渡って発見される
- 手術を1年間で大小合わせて6回以上行っている
- 2022年後半期からはかなり辛い闘病になっていた
- 最後にピアノのソロコンサートをして世界配信している
- 坂本龍一の癌を治療した病院は慶応義塾大学の可能性がある
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