WBCのMVP、メジャーリーグで二刀流選手として大活躍している大谷翔平選手。
野球の才能があふれる大谷翔平選手の両親はどんな方なのか気になりますね!
今回は、大谷翔平選手の両親の職業や現在の住まい、父親の野球経歴について調べてみようと思います。
- 大谷翔平の両親の現在の住まいは?
- 大谷翔平の両親の職業は?
- 大谷翔平の父親の野球経歴は?
- 大谷翔平選手の兄弟は?
これらを確認します。
大谷翔平の両親:現在の住まいは?
大谷翔平選手の両親は、現在も大谷翔平選手が育った岩手県奥州市水沢区姉体町で、2017年に新築した家に住んでいると思われます。
奥州市は岩手県南部に位置し、水沢区は中央部にあります。
こちらが岩手県奥州市水沢区姉体地区の写真です↓
豊かな自然に囲まれた場所ですね♪
2018年5月13日に写真家の千田慎二さんという方が、大谷小選手の実家の写真をブログに載せていますが、前年に引越して今は住んでいないという記述でした。
しかし、家を新築したということで、別の地域に引っ越したわけはないでしょう。
前略)花巻東高校を卒業後、日本ハムに入団が決まった年には、姉体町内会の新年会にお父さんと出席し、小学校の頃からお世話になった地区の方々にお礼の言葉を述べました。
町内会からのプレゼントである30kgの米俵を、いとも軽々とかついで引き上げていった、まだ「大谷選手」でも「オータニ=サン」でもなかった、10代の「大谷くん」を思い出すこの頃です。
(後略)
岩手福寿会HP 大谷翔平選手の実家はすぐそこ http://fukujyusou.jp/2021/07/15
日本ハム入りした頃、両親は大谷翔平選手が育った岩手県奥州市水沢区姉体町に住んでいたと思われます。
2021年7月の投稿で「大谷翔平選手の実家はすぐそこ」というタイトルなので、2021年当時も近くに住んでいたのではないでしょうか。
大谷翔平選手の家族
世界最高の野球選手といっても過言ではない大谷翔平選手の家族はスポーツ一家です!
どんなスポーツをしているのか確認してみました。
- 大谷翔平:プロ野球選手
- 大谷翔平の父親:社会人野球コーチ
- 大谷翔平の兄:社会人野球コーチ
- 大谷翔平の母親:バドミントン
- 大谷翔平の姉:バレーボール
※姉の夫は高校野球の指導者
メジャーで活躍する大谷翔平選手、父と兄は社会人野球の選手からコーチ、少年野球の監督となりました。
母はバドミントン、姉はバレーボール、姉の夫は、高校野球の指導者です。
超スポーツ一家!
普段は家族団らんを大事にした、おだやかな、仲良し家族だということです。
居心地がよく、思ったことを何でも言える環境だったようで、素敵な家族ですね。
大谷翔平の父親や母親はどんな人だったのか詳しく確認してみましょう!
大谷翔平の両親:父親の経歴
大谷翔平の両親:父親の学歴について
- 名前:大谷徹
- 年齢:60歳~61歳 1962年生まれ
- 出身地:岩手県北上市和賀町
- 身長:182㎝
- 出身学校:岩手県立黒沢尻工業高校
甲子園を目指し、地元の強豪校に入学しました。
大谷翔平の両親:父親の職歴について
- 1981年社会人野球・三菱重工横浜野球部
- 1986年24歳で引退 三菱重工グループ会社でコンピュータ関係の仕事
- 1986年結婚
- 1991年自動車ボディーメーカー関東自動車(現トヨタ自動車)に転職
- 1993年岩手県に転勤となり岩手県水沢市(現奥州市水沢区)に転居
- 2016年退社 少年野球チーム金ヶ崎リトルシニア監督に専念
故郷の岩手県に工場建設の予定があるということで、社会人野球の現役引退後に、関東自動車に転職しました。
昼夜2交代の過酷な勤務だったということです。
大谷翔平の両親:父親の野球歴(選手)について
大谷翔平の両親:父親の中学時代の野球部
- 中学では陸上部に入部
- 中2で野球部へ変部
入学当初は陸上部に入りました。
中2で野球部へ 陸上では県大会で入賞するほどの成績でありながら、自分より上がいるのが嫌だったという理由で野球部へ移る事になりました!
相当な負けず嫌いだ!
団体競技である野球では、個人ごとの優劣がはっきりしないけれど、個人の活躍の機会もあるところが良かったのでしょう。
野球を始めからは、エースで4番の大活躍でした。
大谷翔平の両親:父親の高校時代の野球部
- 野球の強豪校、黒沢尻工業で野球部へ入部。
- 甲子園を目指すが夢はかなわなかった
- 社会人でプロ野球を目指していた。
- 燃え尽き症候群で千葉の製鉄会社の就職を断る
- 再び野球に興味が湧き
地元の強豪校黒沢尻工業で甲子園を目指しましたが、夢はかないませんでした。
社会人でプロを目指すつもりで進めていた千葉の製鉄会社への就職を、燃え尽き症候群となった父は断ってしまいます。
ところが時間がたって10月11月になったら、また野球がやりたくなってしまいました。
その時期から野球で進めるのは大学ぐらいだと言われましたがそれは嫌だったそうです。
大学で野球が嫌だった理由は?
大学は上下関係が厳しいとか、殴られるのは嫌だとか、昔の体育会系の雰囲気が嫌いだったのかもしれませんね。
大谷翔平の両親:父親の社会人野球
- 三菱鉱業横浜へ入社
- 1年目で肩を壊し外野手へ転向
- 打順は1or2番でレギュラーとしても活躍
- 6年目で戦力外通告により引退
黒沢尻工業高校OBのツテで三菱重工業横浜に入社しました。
1年目で肩を壊し外野手に転向しましたが、1or2番の打順で、1年後にレギュラーとなり、比較的主力に近いメンバーでした。
大谷徹さんが所属していた三菱重工横浜野球部の同期には、のちにプロ入りする飯塚市富司さんや中野佐資さんがいたそうです。
プロ野球で活躍した選手とも一緒にやってたんですね!
6年目の24歳の時に監督から戦力外だと言われ、引退を決めました。
結婚を決めていたこともあり、仕事に専念しようと思ったといいます。
負けず嫌いなうえに、自分を冷静に見ることのできる父は、プロにはなれないと判断したのかもしれません。
大谷翔平の両親:父親の野球歴(指導者)について
家族のために仕事に専念し、実家のある岩手県にも引っ越し、3番目の子ども大谷翔平選手が生まれました。
大谷翔平選手の兄も野球はやっていたものの、協力できずにいたことが気になっていた父は、大谷翔平選手が野球を始めた時には積極的にかかわっていこうと決意します。
昼夜2交代制で残業もある中で続けました。
子供と関われない時間を公開したのですね💦
大谷翔平選手が中学生になった時、リトルシニアの一関シニアに入ると同時に自身も一緒にうつり、花巻東高校に入学するまで、大谷翔平選手をサポートし続けました。
【2001年~】
大谷翔平選手が所属した「水沢リトル」のコーチに就任
【2006年~】
大谷翔平選手と一緒に「一関リトルシニア」にうつる。
【2014年~】
立ち上げた少年野球チーム「金ケ崎リトルシニア」で監督就任
リトルリーグは小学生から硬式ボール。シニアは中学生。
中学校の野球部は軟式で、リトルシニアに所属していると中学校の野球部に入れない。
大谷翔平選手の父は、はじめから硬式をやらせ、右利きだけど左打ちに変えました。
大谷翔平選手が親元を離れた後も少年野球の指導者として、金ヶ崎リトルシニアの監督を続けています。
自分の夢を子どもにかなえさせたいと力が入る父親が多い中、
指導者として学ぶところから始めていて、冷静に指導しています。
水沢リトル、一関シニアとチームのコーチや監督を務め、
花巻東高校に入学するまで、7年間も大谷翔平選手をそばで指導したそうです!
大谷翔平選手は、自分をすごいとは思っていなかったというのは、父の指導が的確だったからです。
厳しすぎることも、持ち上げることもなく、フラットに指導し続けたからでしょう。
自分の息子だけでなく、他の子ども達にも向けられていて、大谷翔平選手から手が離れても指導者となっているところがいいですね。
大谷翔平選手の両親:母親の経歴
大谷翔平の両親:母親の学歴は?
- 名前:大谷加代子
- 年齢:59歳~60歳 1963年生まれ 父親の1歳下
- 出身地:神奈川県横浜市
- 身長:170㎝
- 出身高校:神奈川県立横浜立野高校
小学校5年生でバドミントンをはじめ、中学生の時には国体のメンバーの選ばれ、団体女子で準優勝しました。
優勝は、バルセロナロリンピックに出場した陣内貴美子さんがいる熊本同学年の2人は、何度も対戦しています。
大谷翔平の両親:母親の職歴について
- 三菱重工横浜に就職
- 1986年結婚
- 結婚後~出産前ぐらいに退社?
- 夫の転勤ともに岩手県水沢市(現奥州市水沢区)に転居
- 37歳頃:翔平さんの小学校入学を機に焼肉店でパートを始める
- 2018年:翔平さんがエンゼルスへ移籍したことを機に退職
高校卒業後に大谷翔平選手の父と同じ三菱重工に入社し、バドミントン部に所属していたそうです。
国際大会に神奈川県代表として出場するほどの腕前だったそうです!
両親の献身的なサポートが今の大谷翔平さんに繋がっているんですね!
大谷翔平の兄弟について紹介
大谷翔平選手の兄弟は兄と姉が1人ずついます。
どんな兄弟なのか気になるので調べてみました!(^^)!
大谷翔平選手の兄弟:兄
- 名前:大谷龍太
- 生年月日:1988年3月20日(2023年4現在35歳)
- 出身地:神奈川県横浜市生まれ、小学校入学前に岩手県水沢市(現奥州市水沢区)に転居
- 身長:187㎝
- 中学校で野球部に所属
- 卒業学校:岩手県立前沢高校
- 地元一般企業に就職・クラブチーム水沢駒形野球倶楽部所属
- 2010年高知ファイティングドッグス(独立リーグ)入団
- 2012年トヨタ自動車東日本硬式野球部に入部
- 2018年都市対抗野球大会出場
兄には本格的に野球をやらせてあげられなかったから、大谷翔平選手には積極的にという思いがあったと父が話すとおり、小学生時代は子供会単位のチームで野球をやっていました。
兄は中学校まで軟式だったから、大谷翔平選手には最初から硬式をやらせようと思ったのですね。
野球への情熱は消えていなかった兄は、遠く高知の独立リーグのチームに挑戦します。
2年後に父の勤務するトヨタ自動車東日本に野球部が発足するということで誘いを受けて、地元に戻る決意をしました。
7年後には全国大会に出場、東京ドームでの試合を実現しました。
この日、弟の大谷翔平選手からはLINEで激励を受けたといいます。
弟の大谷翔平選手とは7歳も離れているため、一緒にいる時間は少なく、一緒に野球をやったこともないといいます。
花巻東高校時代の試合も、最後の夏に県大会決勝で敗れた試合、1回だけだといいます。
兄弟げんかをする年齢差でもなく、ただただかわいい弟のようです。
家にいる時は普通の弟だから、テレビを観ていると不思議な気持ちで、家族だけど一ファンの気持ちで応援していると言います。
大谷翔平選手の兄弟:姉
2014年母と一緒に大谷翔平選手の試合を観戦する姉です。
- 名前:流石結香(旧姓大谷)
- 年齢:30歳~31歳 大谷翔平選手の2歳上
- 身長:168㎝
- 高校時代はバレー部
- 看護系の大学を卒業して看護師になったと言われています。
- 2020年1月 花巻東高校野球部長 流石裕之氏と結婚
姉が大谷翔平選手の恩師でもある人と結婚するなんて、驚きですね。
ごく親しい身内と佐々木監督以外は全く知らなかったそうです。
馴れ初めは分かりませんが、大谷翔平選手が関係していることが間違いないでしょう。
- 名前:流石裕之(さすがひろゆき)
- 生年月日:1981年11月2日
- 出身学校:富士河口湖高校→国士舘大学
- 花巻東高校 教諭(社会科)野球部部長
2013年夏の大会準優勝報告会であいさつをする流石氏です。
若いですね。
2021年長女が生まれ、大谷翔平選手が姪に早く会いたがっているというニュースも流れていました。
横浜で看護師をしているらしいという噂もあった姉ですが、現在は岩手県花巻市で家族と暮らしていると思われます。
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まとめ
今回は大谷翔平さんの両親の職業や現在の住まい、父親の野球経歴について調べました。
- 両親の現在の住まいは岩手県内にある。
- 父親は現在少年野球チーム「金ケ崎リトルシニア」の監督を務めている。
- 母親は現在は専業主婦。
- 父親は中学から野球で活躍し、三菱重工へ入社後も野球部に所属していた。
- 父親は野球チームのコーチや監督を務め、7年間翔平さんに指導した。
- 兄は社会人野球で活躍して現在はコーチをしている。
- 姉は、大谷翔平選手の恩師と結婚した。
最後まで読んでいただきありがとうございました(^^)
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