【日航ジャンボ機墜落事故】生存者4名の現在と当時の画像や名前は?

2023年11月14日の「仰天ニュース」で日航ジャンボ機墜落事故が取り上げられます!

1985年に起きた死者数520名、生存者数4名という、単独機としては航空史上最悪となった日航ジャンボ機の墜落事故。

そんな悲しい事故の中、奇跡的に助かった4名の生存者たち。

今回は、日航ジャンボ機墜落事故の生存者4名について調査してみました

この記事で分かる事
  • 日航ジャンボ機墜落事故の生存者4名の名前と年齢
  • 生存者の当時について
  • 生存者の顔写真
  • 生存者の現在について
目次

日航ジャンボ機墜落事故の生存者4名について

生存者4名の名前については以下の通りです。

名前(当時の年齢)
  • 吉崎博子さん(34)
  • 吉崎美紀子さん(8)
  • 落合由美さん(26)
  • 川上慶子さん(12)

520人という死者数の中で、4名だけが助かったのは、破損が少なかった後部の座席に座っていたからだとされています。

地面に激突して炎上してしまった前方部に対し、後方部は山の斜面を滑り落ちるような形で地面へ接触、火災も起きなかったために助かったようです。

奇跡的に助かった4名ですが、事故当時は重傷を負い、心にも大きなショックを受けております。

また、注目を集めた事故の数少ない生存者ということで好奇の目にもさらされることになり、ストーカー行為や迷惑電話などをかける人間にも悩まされたそうです。

そのため、現在は4人とも取材を受けておらず、穏やかに暮らしていてほしいと願うばかりです。

なお、事故直後の報道では生存者7名と言われておりましたが、後に生存者4名と書き換えられておりますので、他3名については病院で亡くなってしまったか、もしくは既に亡くなっていたかと思われます。

そのうちの1人であると考えられる男の子が運び出される画像が出回っており、”消えた男の子”として注目を集めましたが、この男の子含む3名の身元については明かされておりません

今回は生存者4名について、ネット上で拾える情報をまとめてみました。

①吉崎博子さん

吉崎博子さん
  • 名前:吉崎 博子
  • 当時の年齢:34歳
  • 当時の家族構成:夫、娘2人、息子1人の5人家族(娘1人はもう一人の生存者美紀子さん)
  • 搭乗理由:東京の実家からの帰路
  • 現在の居住地:東京都内

吉崎博子さんはもう1人の生存者である吉崎美紀子さんの母親で、当時34歳でした。

事故時は旦那さんと子ども3人の家族5人全員で搭乗していましたが、この事故で夫と子ども2人を亡くしてしまいます

墜落直後は眠りそうになっていた博子さんを、娘の美紀子さんが声をかけてくれたおかげで気力を保てたようです。

しかし、事故当時はかなりひどい怪我を負っていたといいます。

メディアから追われる日々が続き、吉崎さん親子は事故後に会見やインタビューに答える等をしておりましたが、それでもメディアから追われる日々は続いたそうです。

現在は娘の美紀子さんと、東京都内で一緒に生活をしているということです。

②吉崎美紀子さん

吉崎美紀子さん
  • 名前:吉崎 美紀子
  • 当時の年齢:8歳
  • 当時の家族構成:父親、母親、兄、妹の5人家族(母親はもう一人の生存者博子さん)
  • 搭乗理由:東京の祖父母宅からの帰路
  • 職業:小学生
  • 結婚後の家族:不明
  • 現在の居住地:東京都内

吉崎博子さんの娘である吉崎美紀子さんは当時8歳であったため、情報はほとんど見つかりませんでした。

事故によって骨折等の重傷を負ったものの、順調に回復して後遺症も残っていないそうです。

しかし、当時は事故による顎の怪我でいじめを受けていたという情報もあり、本当なら許されない話ですね。

既に40歳を超えているため、結婚をしているかもしれませんが、その辺りの情報は不明でした。

現在は、東京都内で母親の博子さんと一緒に暮らしているようです。

③落合由美さん

落合由美さん
  • 名前:落合 由美
  • 当時の年齢:26歳
  • 当時の家族構成:夫(事故当時は新婚だった)
  • 搭乗理由:大阪への帰省のため
  • 職業:日航の客室乗務員(事故当時はプライベートで搭乗)
  • 結婚後の家族:夫、娘2人
  • 現在の居住地:大阪府内

落合由美さんは、当時、日本航空のアシスタントパーサーをしていた26歳でした。

事故当日は、実家へ帰省するためにプライベートで搭乗していたそうです。

その職業から、落合さんの当時の証言はかなり貴重なものとして扱われました。

命は取り留めた落合さんですが、当時の怪我の状態はひどく、病院で100か所以上縫っているそうです。

また、事故後の職業については、「定年まで働いた」という情報と「復帰しないまま退職した」という情報が混在しており、確定的なことは分かりませんでした。

しかし、日本航空の社員らを対象とした安全教育セミナーでの講演はしていたようです。

何度も断り続けた後にやっと了承した講演だったようで、恐ろしい体験を思い出さなくてはいけないことは落合さんにとって辛かったことと思います。

それでも、安全意識を共有するという目的で踏み出してくれたことはありがたいですね。

現在は、60歳を超えており、夫と2人の娘の家族とともに大阪府内で主婦として老後の生活を送っているといわれております。

④川上慶子さんについて

川上慶子さん
  • 名前:川上 慶子
  • 当時の年齢:12歳
  • 当時の家族構成:父親、母親、兄、妹の5人家族
  • 一緒に搭乗していた家族:父親、母親、妹
  • 職業:当時は小学生、就職は看護師
  • 後遺症等:PTSD(心的外傷後ストレス障害)※現在は回復
  • 結婚後の家族:アメリカ人の夫、息子3人
  • 現在の居住地:西日本のどこか

川上慶子さんは、事故当時12歳の少女でしたが、その容姿がとても整っていたため、もっとも注目を集めた人物でもあります。

川上さんは、父親(当時41歳)と母親(当時39歳)、妹(当時7歳)の4人で搭乗しており、北海道旅行の帰りでした。

なお、川上さんは5人家族でお兄さんがいますが、部活動で旅行には参加しておらず助かったそうです。

川上さんの証言によると、墜落直後は父親と妹とは会話もでき、他の人の声も聞こえていたそうですが、救助までかかった長い時間の中で他の人は亡くなってしまったようです。

ある程度回復した後は、島根県の祖母の元でお兄さんと一緒に生活していました。

事故後は、保健師であった母親の遺志を継ぎ、兵庫県の病院で看護師として働いていたようです。

また、1995年の阪神淡路大震災では現地のボランティアとして活躍されました。

川上さんは事故後しばらくはPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、飛行機に乗ることが出来なかったようです。

その後PTSDも克服して渡米し、現地で知り合ったアメリカ人男性と国際結婚をし、3人の息子にも恵まれて現在は西日本のどこかで暮らしていると言われております。


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まとめ

以上、日航ジャンボ機墜落事故の生存者4名について、ネットに上がっている情報をまとめてみました。

  • 1985年に520名の死者数を出した日航ジャンボ機の墜落事故での生存者はたったの4名であった。
  • 生存者は、破損が少なかった後部の座席に座っていた。
  • 生存できた4名も、事故により重傷を負っていた。
  • 生存者は事故後、好奇の目にもさらされることになり迷惑行為でも悩まされたため、現在は取材は行われていない。
  • 吉崎博子さん(当時34歳)と吉崎美紀子さん(当時8歳)は親子であり、家族5人全員で搭乗していたが2人以外は亡くなっている。
  • 吉崎さん親子は現在、都内で一緒に暮らしているといわれている。
  • 落合由美さん(当時26歳)は当時、日本航空のアシスタントパーサーとして働いていたが、事故当日はプライベートで搭乗していた。
  • 落合さんは現在、夫と2人の娘と一緒に大阪府内で暮らしているといわれている。
  • 川上慶子さん(当時12歳)は当時、家族4人で搭乗していたが自分以外は亡くなってしまった。
  • 川上さんは事故後、祖母と搭乗していなかった兄と一緒に暮らしており、現在は夫と子ども3人と一緒に暮らしているといわれている。

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