2023年5月12日の「金曜日のスマイルたちへ」で、世界的フレンチシェフ三國清三を取り上げます。
三國清三には傷害事件で書類送検の経歴があることがわかっています。
その内容や訴えた弟子は誰なのかについて調べます。
- 三國清三のプロフィール
- 三國清三の傷害事件とは?
- 三國清三を訴えた弟子は誰?
今回は三國清三の書類送検について調べます。
三國清三のプロフィール

名前:三國清三 (みくに きよみ)
年齢:68歳(2023年5月現在)
生年月日:1954年8月10日
出身地:北海道留萌支庁管内増毛町
1969年、三國さんは中学卒業後、札幌の米店に住み込みで働きながら、夜は調理師学校に通っていました。
ある日賄いでハンバーグを食べ、感動し、ハンバーグを作る料理人になろうと決めます。

伝説の料理人はハンバーグから始まったんですね!
米店の奥さんが、「ハンバーグといえば札幌グランドホテル」というので、三國さんは札幌グランドホテルでテーブルマナー教室に参加し、そこで料理課長の青木保憲の許可を得て料理人の修行を始めます。
三國清三の経歴
- 1971年:帝国ホテルに就職
- 1973年:スイスの日本大使館の料理長に就任
- 1978年:三つ星レストランで修行
- 1982年:市ヶ谷「ビストロ・サカナザ」のシェフ就任
- 1985年:四谷「オテルドゥミクニ」をオープン
半年後には正社員となり、1971年札幌グランドホテル総料理長・斉藤慶一に紹介状を書いてもらい帝国ホテルに就職(初めのうちは正社員ではなかった)します。
1973年、20歳で帝国ホテルの村上信夫料理長の推薦でスイスの日本大使館の料理長に就任しました。そこで働きながら、フランス料理で有名な「ジラルデ」のフレディ・ジラルデや、アラン・シャペル、トロワグロに師事します。
1978年、大使館を退勤し、フレディ・ジラルデに師事を続けました。
その後「トロワグロ」「アラン・シャペル」などの三つ星レストランで修行をしました。

1982年には市ヶ谷の「ビストロ・サカナザ」のシェフとなりました。
1985年、四谷に「オテルドゥミクニ」をオープンしました。
その後多くの支店を日本中に作り、さまざまな名誉ある地位につき、フランス料理コンクールの審査員をしたりして日本のフランス料理の第一人者として活躍しています。

三國清三の活躍は村上信夫総料理長の影響が大きかった!
次の文は、帝国ホテルの村上信夫総料理長が書いた本に書かれた一節です。
「もう一人、忘れがたい弟子がいる。「オテル・ドゥ・ミクニ」のオーナーシェフ、三國清三君である。
・・・・・私が総料理長だった当時、札幌グランドホテルから帝国ホテルに志願してやってきた。
正社員の粋がなく、パートタイマーで採用したが、やる気があって、よく気がつく男だった。(中略)
「専属コックにいい人はいないか」と打診してきたとき、頭に浮かんだ何人かの候補者の中から、私は三國君を選んだ。
なぜ私は三國君を推薦したのか。
彼は、鍋洗い一つとっても要領とセンスが良かった。戦場のような厨房で次々に雑用をこなしながら、下ごしらえをやり、盛りつけを手伝い、味を盗む。
ちょっとした雑用でも、シェフの仕事の段取りを見極め、いいタイミングでサポートする。
それと、私が認めたのは、塩のふり方だった。厨房では俗に「塩ふり三年」と言うが、彼は素材に合わせて、じつに巧みに塩をふっていた。実際に料理を作らせてみなくても、それで腕前のほどが分かるのだ。」
http://edoyasai.sblo.jp/
人の上に立つ人は、こんなふうにしっかり人を見極めてくれる能力を持ってくれているんですね。
三國清三の書類送検とは?
事件日:2006年7月1日午後3時頃
場所:レストラン運営会社「ソシエテミクニ」の社長室
被害者:営業担当のスーパーバイザーの男性社員(46)
理由:仕事が遅いので怒る
被害:電話を投げられ、顔を殴られ軽傷
上で引用した村上総料理長の話にあったように、三國さんは仕事が早いんだろうと思いますね。
それでイライラしたのかもしれません。
あと、育った年代から殴られたりして教育されてきた人なのかもしれません。
現代では暴力は絶対に許されませんが、昭和の時代だと殴られて育っている人も多くいます。
暴力はダメですが、時代背景なども考えると昔の人が仕事をする上で変化を求められた時代の出来事だったように感じます!
訴えた弟子は誰?
三国清三氏が障害事件を起こして書類送検された相手は公開されていません。
この事件は三國さんの会社に勤めていた男性が訴えを起こしたようです。
しかし、彼の名前は公表されませんでした。
2023年現在でもその情報は公開されていませし、一般人なので今後も出てこないと思います!
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まとめ
今回は、フランス料理の第一人者の三國清三の傷害事件について調べました。
- 三國清三は、2006年7月1日に、新宿区内の「ソシエテミクニ」で仕事が遅いことに腹を立てて、男性の顔に軽傷を負わせている。
- 三國清三の弟子ではなく、三國清三の会社の社員の男性が被害者で訴えた。
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